2019年02月22日

『スマホが危ない!』のではない

 いまさらという感じはありますが、文科省が小中学校への携帯電話やスマートフォン(スマホ)の持込原則禁止を見直すことを公表したことで、子どもにスマホをどう持たせるかという論議が再燃しそうですが、そもそも持込むとか禁止ということ自体論点がずれているような気がするのは、わたしだけでしょうか?


 どうも日本人は、ハードウエア(ハード)がお好きらしい。

何か問題がおこると、ハードのせいにして、それに規制をかけているように感じてならない。


 わたしは、アウトドアの活動をしてうるので、アウトドアの活動をしない人に比べて比較的刃物をつかう頻度が高いと思います。わたしは、普段からナタやノコギリ、ナイフなどを使っていますが、このような刃物は、危ないものでしょうか?


 おそらく、ひとによって見解が分かれると思います。

わたしは、危ないものだとは思っていません。

なぜなら、どうやって使うか、どんな風に使ったら危ないか(ケガをするか)、ケガをしないためにどうするか、ということを知っているし、道具の状態の確認やメンテナンスなどを行なって使っているからです。


 もし、わたしが切れないナイフを渡されて、力任せに木を削ってとたのまれたら、これは怖くてこの状態ではできないです。


 なにが言いたいかというと、ハード(道具)が危ないのではなく、ハード(道具)を使うひとや環境が危ないんです。つまり、ハードを使う前に、使い方や扱い方、間違った使い方をするとどうなるかとか、それを使う上でのモラルなどを、だれかから教わったり、習うことが必要だし、それが重要なのだと考えます。


 話をスマホにもどすと、スマホはこの10年くらいで瞬く間に我々の生活に浸透し、社会のシステムとしても重要な役割を担うようなハードになっていますが、はたしてスマホをキチン道具として使えるように教えることが出来るひとがどのくらいいるでしょうか?


 便利で、多機能、しかもたのしい(あそべる)、新しいことがどんどんできるようになる、そんな夢のようなハードは、これまでのハードにくらべ信じられないくらいのスピードで普及し、いまやその存在感は絶大です。

 そしてその魔力に取り憑かれてしまっているひとが、どくらいいるのでしょうか。

街で周りを見回すと、スマホゾンビやジャンキーでいっぱいです。

(スマホを見ながら車を運転する、スマホの画面だけを凝視して公道や駅のプラットホーム、階段を歩く、スマホを握っていないと不安でいられない…)


 おとなでさえ、スマホの魔力で、ゾンビやジャンキーになってしまうのに、どうやって子ども達に使い方を教えれば良いのでしょうか。

 iPhoneの生みの親であるスティーブ ジョブス氏は、彼の子どもにiPadやIPhoneを使わせなかったといいます。

 彼のように禁止というのも一つの手段ではありますが、子どもが成長しスマホを使うようになったとき、なにも習わずに使い出せば、いまのおとなと同じようにゾンビやジャンキーを増やすだけです。


 最初の小中学校の話にもどると、携帯電話やスマホを校内に持ち込むと、授業中に隠れて使う子どもが出るとか、授業を聞かなくなるとか、いろいろいわれますが、それもまた別の問題ですよね。

 語弊を恐れずに言えば、子ども達が授業を聞かないのは、授業がおもしろくないからなのではないでしょうか? 先生の話がつまらないとか…

 そう思いませんか?

 授業がおもしろかったり、先生の話がたのしかったりしたら、子ども達は絶対に食いつきますよね。


 これは、学校の現場にいる先生を批判しているものではなく、スマホという一つのハードの扱い方だけの問題ではなくて、学校教育というハード全体の問題なのだと思うのですが…

ただ、この件について書き出すと止まらなくなってしまうので、今回はこれ以上触れませんか。


 スマホの使われ方、モラルに関しては、日本だけの問題ではなく、世界中で問題になっていることですが、未来を築く子ども達にたいして強力な魔力をもつスマホの扱い方を習わせることは、喫緊の課題ではないでしょうか。


 我が国の政府は、経済活動(お金儲け)にしか興味がないようで、非金銭的なことには無関心ですが、これからの世界は金銭的に表すことができないところが非常に重要になってくると思うんですが…


 話がとんですみません。

 主題のスマホにもどると、強大な魔力を持つスマホが、瞬く間に世界を席巻したことにより、多くのひと(おとな、子ども問わず)が道具であるスマホに取り憑かれてしまっているのが、現状ではないでしょうか。

 スマホに取り憑かれたひと達の健康被害もたびたび報道に登りますが、もっと社会全体としてスマホに対して考えなくてはいけない時期なのではないでしょうか。


 社会全体、国・地方自治体、学校などくくりは大小ありますが、まずは家庭や友達同士などの小さな社会のなかで、スマホとの付き合い方について考え直してみてはいかがでしょうか。


 スマホはあくまでも、ひとつの道具です。

 どんなに強大な魔力があっても、使う側がコントロールすれば(操られることがなければ)、すばらしい道具なるのではないでしょうか。


posted by あーす楽園 at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | スマホ